30歳を過ぎた。いよいよ自分は、書かずにはいられない性分なんだ・・・と思う。
何を書くのかというと、主に日記である。日記を書く人はたくさんいると思う。でも、誰でも書いているわけではない。現にパートナーは「日記は書いても続かない」という。
私は「書きたいときに書く」を繰り返し、15年前の高校時代から現在に至るまで、スケジュール帳も含めると10-15冊は日記が残っている。
さらにブログも書く。同じくブログを書く人の中には、他のブログサービスを使っていた人も多いのではないか。
私は先日、驚いたことに高校生の頃に作っていたブログがまだ生きていることを知った。内容はほとんど覚えていない。
恐る恐る適当にタイトルをクリックすると
「おいしそうなさつまいもパンを発見した!るんるん〜」
と、1文で終わるものばかりで600件ほどあった。
思い返してみると当時は今のようなSNSがなかったので、今でいうSNS感覚で使っていたのだろう。
はてなブログも少し久しぶりに開いたのでログインし直してみると、間違えて前のアカウント情報で入っていた。まずアカウントを削除していなかったことに驚いたが、記事数が200件を超えていた。ちょっと怖い。これまで書いた記事数の合計はどれほどだろう。
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書いた日記を見返すのかというと、意外と見返す。
今年は1日あたり4-5行書ける日記帳を持っていて、書くついでにパラっと読むこともある。これは昔と少し違う点かもしれない。
学生の頃は過去の日記を読むことに少し恥ずかしさもあった。でも時間が経てば面白いと感じるかもと思って一応置いていた。実際、今15年前の自分の日記を読んでも平気で読める。
読み返したときの感想はいろいろである。
①忘れていた気持ちや出来事を思い出して懐かしい
②今と同じ考えであることを再認識する
③昔やりたかったことを今もやりたいと思っている(今後も思ってそうだからやれば良いかもと思える)
④そんなことで感情的になってたの?と驚く
このあたりが私の場合は多いかな。
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日記をやめようと思ったことはもちろんある。
理由。まず「読み返さない」。これは、今は読み返すので辞める理由からは消えた。
もう1つは「死んだ後この日記どうするんだろう」。これが理由で日記を書かなくなった時期もあるが、そんなことを考えていたら何もできないと開き直って復活した。しかし、できれば死んだ瞬間に日記は燃えてほしい。
「死んだ後に読まれるリスク」は日記の内容にやや影響する。例えば怒りを感じた出来事を書くときは、万が一読まれた時を考慮して表現は気をつけたりする。
最後に「書いたところで何にもならない」。まあこれも、どんな趣味や娯楽もそうだ。今となっては辞める理由にはならない。
ただ、これだけ書いておいて私の中で日記を書くのがすごい好きって感じもあまりない。
ただ書かずにはいられない、みたいな感覚である。美味しそうな料理や綺麗な景色を見たらつい写真を撮る、ぐらいの感じ。他の人はどうなんだろう。
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読み返すことを前提にしたとき、こう書いておいた方が後から読みやすいと思うポイントがいくつかある。
1つは、具体的な名称はちゃんと書くこと。例えば何の映画を観たのか、美味しかったお店の名前、話した人の名前とか。これらのキーワードは、読み返したときに急激に記憶を呼び起こしてくれる。
2つ目は、なるべく気持ちを書くこと。出来事を書くだけで意外と行数を使ってしまうが、なるべく感情や考えも書いておきたい。
そんなこと思うなんて昔の自分はバカだったなとか、今となっては立場が変わり共感できなくても、たしかにそう感じていた事実を思い出せるとか。
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そんな感じで、まだしばらく日記は書き続けることになりそう。
15年後に30年前の日記を読むのは、どんな気持ちになるだろう。そもそも何してるだろう。
